張 杭萍先生

担当: 中国語
先生のふるさと: 中国

はじめまして、張 杭萍です。
日本に来るまで、中国の大学で教師として、十年以上教壇に立ってきました。自分自身も、長年日本語の学習を続けていますので、語学学習の辛さと楽しさを十分実感しています。それぞれの国の言葉は発音・文法、また文化的背景等で違っているとはいえ、『様々な国の人とコミュニケーションしたい』という思いは共通していると思います。
これから中国語を習得したい方、中国語力をもっと高めたい方、
中国文化・考え方を交えながら一緒に楽しく中国語の醍醐味を味わいましょう!

さて、「百聞は一見に如かず」、まさにその通りです。休みを利用して、自分の目で現在の中国を見ることも言葉の勉強につながる重要なポイントです。ご参考に、この場を借りて、生まれ故郷と第二の故郷の自慢話を話させていただきます。

私の名前に「杭」という字があります。「出る杭は打たれる」けれども、私は打たれません。杭州生まれということで、両親が地名にちなんでこの名前をつけてくれたのです。

それでは、まず杭州の見所を一緒に探しましょう。

杭州市(コウシュウし、ピンイン:Háng zhōu、ハンチョウし)は、中華人民共和国浙江省の省都で、副省級市。古来より経済文化が発達し、「上に天堂あり、下に蘇杭あり。」と歌われた。総面積16.596平方キロ、総人口643万人(2003年末)。中国八大古都の一であり、国家歴史文化名城に指定されている。

西湖十景杭州市の西側に位置する西湖は中国十大美景の一つである。湖水面積約5.6平方キロメートル、周囲約15キロ、水深約2.8キロと中国では決して大きくはない湖だが、数多くの景勝地を持つ。見所は、断橋残雪・平湖秋月・柳浪聞蔦・三潭印月・曲院風荷・蘇堤春暁・南屏晩鐘・双峰挿雲・雪峰夕照・花港観魚の十名所がある。船での遊覧もできる。曲院風荷は蓮の花で有名な広々とした公園である。その隣には、こじんまりとした美しい江南様式の庭、郭荘がある。庭の奥からは西湖を一望できる。

次は第二の故郷である湖北省の武漢をぜひ紹介させていただきたいです。
湖北省は長江の中流域にあり三峡を出たところ。まさに交通の要所であり、中国の中心部である。三国時代はこの地は荊州と呼ばれ、劉備、曹操、孫権ともに喉から手が出るほどに欲しかった場所だ。諸葛亮の「天下三分の計」では益州(今の四川省、重慶市)と荊州を領土とし、2方面から魏を攻めるというものであった。曹操の南下時、趙雲、張飛が活躍した当陽、曹操と孫権・劉備連合軍の赤壁の戦い、関羽の居城の荊州、そして非業の死、関羽の弔い合戦となった夷陵などなど、三国遺跡が山ほどある。


【湖北省地図】

武漢(ぶかん、ウーハン)は中華人民共和国湖北省の地級市であり、省都。また華中地域全域の中心都市である。長江をはさんで、武昌、漢陽、漢口の三鎮が並立し、江城の異称がある。面積8,467平方キロ、総人口781万人(2003年)。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市に指定されている。長江の傍らの丘の上に立って揚子江を見下ろす高台のあった五層の高楼・黄鶴楼が有名。昔酒場の壁に仙人が描いた黄色い鶴が歌に合わせて踊り出すという評判になり店が繁盛したという。再び仙人が現れ壁の鶴の背に乗って去って行ったと云う伝説。壁に鶴の絵が立派に掛けられている。

武漢の街は漢口、武昌、漢陽の三地区からなっていて、「武漢三鎮」と呼ばれる。南京、重慶と並び、「中国三大竃」ともいわれ、夏の暑さは東京の蒸し暑さに輪をかけたようだ。黄鶴楼は武昌側にあり、長江大橋を渡った先が漢口と武陽ということになる。

武昌側にある東湖は地元の人が自慢するだけあり広大で、岬のように突きでた磨山からの眺めは絶景だ。東湖を二分するように曲がりくねった並木道が続く。霞んでいたこともあって、幽玄の世界へと誘うようだ。

最後に「黄鶴楼」にちなんだ唐詩を楽しめながら、故郷自慢を終わらせていただきます。

黄鶴楼送孟浩然之広陵   盛唐   李白
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る

故人西辞黄鶴楼    故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州    煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽    孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流    唯(ただ)見る 長江の天際(てんさい)に流るるを

七言絶句

押韻  楼、州、流

【日本語訳】

我が友、孟浩然は黄鶴楼に別れを告げ、これを西にして、

春霞に花が咲き乱れる春三月、揚州へと下ってゆく。

ポツンとひとつ遠くに浮かんだ帆影はしだいに碧空へ吸い込まれるように消え失せ、

あとはただ長江がはるかな空の果てまでも流れていくばかりである。

【鑑賞】

春のさなか、孟浩然が武昌から揚州へと、揚子江を下る旅に出るのを、作者が黄鶴楼で送別したときの詩。

楼の上から見ると敬愛する友人、孟浩然の乗った船が、長江の上をゆっくりと去っていく。作者は友人との楽しかった日々を思い出しながらその帆影を目で追い続ける。

その孤帆は次第に小さくなり、ついには青空に消えてしまう。

この船を見失う一瞬をとらえて深い別離の情を見事に表現しています。それでも惜別の情は尽きなくて、果てしなく流れる長江をいつまでも眺めている。詩中には愁いとか、哀しみと云った語句はないけど、もっと大きな惜別の情の詩となっています。